<59>「還暦からできること」模索の旅 船津クリニック(静岡県富士市)船津 雅幸
船津氏 |
「還暦からできること」模索の旅
生と死を扱う産婦人科に
しばしば「何で産婦人科医になられたのですか?」と質問を受けます。医師が診療科を決定するにはいろいろなケースがあります。
クリニックの外観 | |
クリニックの待合室 |
自分の場合は臨床実習中に、治療にメリハリのある外科系に行きたいと思うも「外科のハードさ」に腰が引け、唯一「生と死」を扱う産婦人科に心魅かれました。またどこの医局にも「この人の後輩にだけはなりたくない!」と思う先輩医師がいるものですが、たまたま当時の母校産婦人科医局にはそういった先生が見当たらず、それが入局の決心に拍車を掛けたのです。
病院勤務時代はバランスのよい医師になりたいと願い、病院の責務を意識し恥ずかしくない診療を心掛けていたような気がします。麻酔科や新生児科研修も受け、科長の役も担いました。退局後は4年間の産科医院の雇われ院長職を全うし、開業準備中に隠岐の島での離島医療を経験する機会を得ました。その地で使命感に燃えた自治医大の若手医師との出会いに刺激を受けたものです。
女性のホームドクターを目指す
クリニックでの診療は設備やマンパワーの関係上、できることに限界があります。しかしクリニックでしかできない医療も存在します。それは病院勤務では気付かないことかも知れません。
開業に当たり目指したものは、月経関連症状や更年期症状を抱えつつ、敷居が高い故に婦人科受診をためらっていた女性たちに来院していただけるクリニックでした。漢方専門医であることを活かし、必ずしも婦人科的でない訴えを持つ女性たちを受け入れる女性のホームドクターになりたかったのです。
それまで使い方を熟知していなかった経口避妊薬(OC)の効用を実感しました。リスクを考え超音波での乳がん検診を始めました。「女性外来」が根付き始め、女性器の疾患を扱う専門医ではなく、女性の生涯の健康をサポートする医師になりたいと願うようになってきたのです。
そんな折に研修会で北村邦夫先生、対馬ルリ子先生との出会いがありました。すぐに女性医療ネットワークに加入しそのメンバーに励まされ、子宮頸がん予防ワクチン発売の際に、地元富士市で子宮頸がんと乳がんにスポットを当てた市民対象のシンポジウムを開催できたのです。
熱意ある仲間に刺激を受ける
妻は薬剤師で、院内調剤や患者指導を担ってもらい、夫婦で頑張っております。かゆみの患者さんにはスキンケア指導、更年期の患者さんには脂質や糖代謝の血液検査を行って、食餌指導や頸動脈エコーも行うようになりました。しつこいくらいの禁煙指導も行っており、当院でのOCの効用に「タバコも止められる」とうたっております。
それでも一昨年避妊教育ネットワークに入会してさらなる刺激を受けました。これまでのキャリアの中で自分なりの医療を追求し、いつの間にか「こんなもんでいいかな」という気になっていたようです。メンバーの先生方は年齢に関係なく、恐ろしい程の情熱と行動力で何かを変え何かを始めようと日々努力していらっしゃいます。多忙な日常診療の中、週末は日本国中を勉強や講演に飛び廻り、真正面から避妊教育やDV問題に取り組んでおられます。
世の中には真面目な先生が多いですが、変な医師も多数存在。そもそも話が面白くありません。でもこの仲間は違います。宴会も楽しいですし、元気や勇気をたくさんいただけます。
「還暦デビュー」に向け特訓中
私もホルモン剤を積極的に処方するため、血栓症対策として下肢静脈エコーも勉強中。昨年から日産婦学会主導の「女性のヘルスケアアドバイザー養成プログラム」も始まり特訓中です。
自分は実はまだ避妊教育の経験がありません。でもやる気は芽生えており今年こそデビューをと考えております。私は昨年還暦を迎えました。しかしこれからでもできることを模索する、まだ旅の途中です。
【略歴】
横浜生まれ、東京育ち。1984年昭和大学医学部卒業。昭和大学病院、亀田総合病院、共立蒲原総合病院、隠岐病院など7病院および二つの産科医院勤務を経て、2006年静岡県富士市に船津クリニック開設。産婦人科専門医、漢方専門医。