機関紙

<1>遺伝にまつわる悩み 和歌山つくし医療・福祉センター名誉院長 月野隆一

2015年05月 公開
シリーズ遺伝相談 総論編1

遺伝にまつわる悩み



和歌山つくし医療・福祉センター名誉院長 月野 隆一



 出生前診断がメディアをにぎわせるようになって、遺伝カウンセリング(以下、遺伝相談)という活字が急速に露出するようになった。総じて「遺伝相談なくして遺伝学的検査や遺伝医療は勧めるべきではない」とされているが、「遺伝相談とは」という論議はあまりお目にかからない。本稿では「遺伝相談」についての私見を紹介したい。


遺伝相談とは

 遺伝相談発足当初は「次の子どもに同じ遺伝病を持った子どもが産まれないか」という「次子再発危険率(現在は再発率または再発確率)」中心の相談が多かった。遺伝的診断技術の進歩を迎え「確率提示」という曖昧な情報より「確定診断」を求める動きへと移行し、「出生前診断」が登場した。その根底には遺伝病を持つ胎児の出生予防が底流をなしていることは否めない。
 遺伝病を持って生活している人々にとって、診断技術の進歩によりもたらされた正確な診断名とそれに基づく治療、遺伝子情報は福音となっている。一方、個人の生命予後を明らかにしたり、血縁への波及という新たな問題も突き付ける。その中には「今は発病していないが何歳ごろにがんが発症する」とか「植物状態になる」といった情報や、保因者(本人は発病しないが次世代に発病者が生まれる)情報が含まれる。富和清隆氏(東大寺福祉療育病院院長)の言を借りれば、このような情報〝bad news"を「知らずに生きる覚悟」「知って生きる覚悟」についても前もって話し合う必要がある。
 次の一歩をどのように踏み出すかは、クライエントの置かれた環境、家族観、性格、人生観、遺伝観、倫理観、死生観、価値観などにより百人百様であるが、相談のゴールは対話によりクライエント自身の問題解決能力を引き出し、自らの意志により次の一歩を踏み出せるよう支援することにある。


問題解決能力の支援

 遺伝相談で、自分は完全で、未来永劫に順風満帆の人生が歩めると思い込んでいるクライエントにしばしば遭遇する。このような人はわずかなことで動揺し、自らの問題解決能力を引き出せずに深い悩みの中で苦しみ、その中から抜け出せない。
 〝bad news〟を抱えてクライエントの心が揺れているときには、重大な意思決定は不可能であり危険でもある。では、意思決定に必須の平穏な心をどのようにして得るか。
 「本当の心の平穏とは、最悪の事実を受け入れるところから生まれる」と中国の思想家、林語堂も述べている。「道は開ける」(D・カーネギー著)の中で紹介されたウイリス・H・キャリアーは、①最悪の場合、何が起こるかを、ありのままに検討する②それを受け入れる③受け入れた最悪の事態を改善すべく、落ち着いて時間と労力を注ぎ込む―と述べている。遺伝相談においても、この手法が参考になる。


遺伝相談の課題

 個別の疾患については今後のシリーズで述べられるので、一般的なまとめを行ってみる。

①疾患を持った人への理解

 検査結果は染色体、遺伝子変異共に記号で表記され、「正常」か「異常」に大別される。クライエントは提示された意味が分からず、ますます不安に陥る。
 「21番染色体が3本だから」「遺伝子変異があるから」即ち異常と判断し、思考停止が起こる。記号で異常と判断された人々がどのような症状を持ち、社会的、医療的にさまざまな支援を受けながら生活している姿への理解が不可欠である。出生前診断のマススクリーニング化の足音が聞こえ始めた昨今、より重要となる。

②クライエントの心の平穏

 遺伝相談とは、クライエント自身が問題解決能力を発揮して自己決定に至るまで寄り添い、支援する過程である。その基本である「クライエントの心の平穏」が得られていなければ、まずはこれを支援することから始まる。それには十分な時間(最低約1時間)の確保、適切な時期(精神疾患罹患時、妊娠中などは避ける)、信頼関係の構築などの配慮が重要である。

③遺伝相談体制の整備

 「遺伝的医療には遺伝相談が必須」とセットのようにうたわれている。しかし、遺伝医療の急速な進歩にブレーキをかけることができない現状で、遺伝相談をいかに実りある体制に構築するか、大きな課題を突き付けられている。このままでは「遺伝相談とは遺伝医療・研究を行うためのつじつま合わせの通過儀礼」と受け止められ、遺伝相談を誤解されかねないと危惧している。


まとめ

 遺伝相談の前提に、正確な遺伝的診断が強調されている。これは正しいが、昨今の急速な診断技術の進歩は、ともすると診断名が独り歩きする傾向がある。診断名が全てではなく、個人の属性を示す一つの指標(one of them)に過ぎないことを踏まえ、クライエント、カウンセラー共に遺伝病を持って生きている人々の姿を頭に描きながら、遺伝相談が進められるべきである。

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