齋藤氏 |
母と子が健やかに
津軽保健生活協同組合 健生病院(青森県弘前市) 副院長 齋藤美貴
青森の産婦人科校医制度
青森県には「産婦人科校医の制度」があります。県内6教育ブロックに1人ずつ県教育委員会から「産婦人科校医の委嘱」を受け活動しています。私が在住する弘前を中心とした地区の校医は蓮尾豊先生です。
私が性教育を始めたきっかけは、蓮尾先生から、先生のお子さんが在学中の高校の性教育講演をしてみないかと声を掛けていただいたのが最初です。
中学校での性教育の様子 |
まずはともかく実際の性教育を見学することだと、蓮尾先生について行き、初めは全てのスライドを提供してもらい、まねから始めましたが、「毎日がお産の現場にいる者として、現場の声を!」と立ち会い分娩のお父さんの感想文とか、実際に体験した常位胎盤早期剥離で赤ちゃんを亡くしてしまった話とか、中高生の妊娠・出産・死産の話とか、自分流にアレンジしています。
先日は蓮尾先生が私の講演を聞きに来てくださり、大変緊張しました。写真はそのとき撮っていただいたものです。
大きく変化する中学時代
私は主に中学校に出かけていますが、中学生が大好きです。中学校の3年間というのは、とても大きく変わっていく時期です。義務教育期間ですし、まだ大人に守られていることは当然で、自分の力だけで生活していくことも考えられませんが、自分自身を見つめることから始まり、「自分はどんな人間なのか?」そんなことを真剣に考え、自分自身をつかむことに悩み、もがいている時期。まさに子孫を残せる身体に変わっていくというだけではなくて、心の問題、葛藤を抱える時期です。
私が性教育講演を始めた10年前、ちょうど長男が中学生でした。高校は受験があって、一定の似たような環境の仲間が集まります。しかし中学校の場合、地域の中学校であれば同じ地域というだけで、家庭環境も勉強の環境も違う仲間が集まります。そのような仲間だからこそ、その仲間でクラス活動を行ったりすることが、大切だと思っています。
人とのつながりが地域づくりに
一般市中病院で、思春期から老年期まで、手術もお産も何でもありの産婦人科医です。お産は母と子の絆や家族の根幹に大きく関わると思っているので、お産の場は幸せな時であってほしいと願い、自然分娩を大切にしています。しかし、いざというときの対応ができない医療者では困ると、助産師も全員が新生児蘇生法Aコース認定を取得するようにしています。
産婦人科は女性の一生の応援団です。「健やかに生きること」、「母と子が健やかに!」を合言葉に、母乳育児を推進してきました。助産師たちは、地域の小学校や中学校に生命(いのち)のお話に出かけて行っています。このような活動の中で、当院はWHO/ユニセフからBFH(Baby Friendly Hospital)の認定を受けています。
蓮尾先生のご尽力で、弘前ではもともと各中学校で性教育講演が開催されていましたが、全ての中学校というわけにはいきませんでした。しかし、今では市教育委員会としての取り組みとなり、市内全中学校で行われています。周辺市町村は市町村の母子保健担当の保健師が窓口になることが多く、人とのつながりの輪が地域づくりであると感じています。
地域で活動する産婦人科医として
最近は、産科はいつ緊急事態が発生するか分からない科、滅多には遭遇しないが対処できないわけにはいかない、ということでシミュレーション教育の必要性を感じ、ALSO(Advanced Life Support in Obstetrics)のインストラクターを取得しようとしています。
健生病院には小児科・産婦人科(1988年4月開設)、救急科(2003年10月開設)があり、虐待が起きやすいと考えられる心理的・社会的な問題を抱えたお子さんやご家族が受診されることも少なくありません。2011年大阪で、医療機関を複数回受診していた子どもが虐待の可能性が疑われていたにもかかわらず、必要な機関に通告されず死亡するという痛ましい事件が起きました。この事件を受け、当院では「子ども虐待防止チーム」を立ち上げ、虐待事例に早期に対応できる体制づくりや、仕組みづくりに取り組んでいます。
まだまだ若輩者ですが弘前市医師会理事となり、さまざまなつながりを生かして、この地域の中で産婦人科医として生きていきたいです。元気を与えてくれる全国の仲間に感謝しています。
【略歴】
1964年岩手県盛岡市生まれ。1990年弘前大学医学部卒、健生病院入職。2年間の内科を中心とした初期研修後、産婦人科医。専攻医指導施設暫定指導医。新生児蘇生法専門コースインストラクター。ALSO―Japanインストラクターキャンディデイト。弘前市医師会理事。