15年間、1杯の味噌汁の味を探し続けている。
その味噌汁を頂いた場所が石垣島であったことから、沖縄県でポピュラーないなむどぅち味噌を自宅に取り寄せ、具を変えだしを変え分量を変え長らく試行錯誤してきたが、あの味にはたどり着けていない。
また食べに行けばいいじゃないかと思うだろう。それがそうもいかないのだ。
その場所は、正確には同島北西部・川平湾沖。乗り合いのボートでダイビングショップの人から頂いた昼食だったのだ。
いかにもその時私はスキューバダイビングをしていた。
40分潜り、くたくただった。タンクから送られる酸素はむせるほど乾燥している。水中では気付きにくいがたっぷり汗をかいて、喉はカラカラだ。
海面からボートのはしごをよじ登ると、身に着けた装備が15kg、いやそれ以上の体感でのしかかってくる。登り切ると同時にデッキに倒れ込んだ。そこへ差し出された具沢山のいなむどぅち(沖縄式味噌汁)とでっかいおにぎりなのだ。ほら、もうこれに勝てるグルメはないだろう。
15年後、私は激しい疼痛と代謝異常を伴う病気になった。治療法も治療薬もない。今は緩和ケアをしながら、職場の皆の理解のおかげで本会の仕事ができている。
ただ、さすがにダイビングはもうできないだろう。
うまい食事にはストーリーがある。それは当たり前の日常の中にあり、当たり前の日常は多くの場合、当たり前のカラダありきで語られる。
“何でもないような事が幸せだったと思う”なんていう歌があったが、まさしく。
とはいえ私とて、ただ悲嘆しているわけじゃない。何でもないいなむどぅちが幸せだった方程式に当てはめると、“なんでもないことが生涯一の体験になり得る”とも言えると思うのだ。
(斉藤 由香)