もう10年近く昔のことになるが、私はかつてモスクワへ留学していたことがある。ひと昔前のことなので今もそうであるかは分からないが、基本的にロシア人はよっぽど親しい相手以外には無愛想である。愛想笑いなんて、もちろん皆無だ。
ただそれは、「笑顔は敬愛の証であり、偽りの笑顔はむしろ相手に失礼だ」という考えから来ている。実際、親しくなると彼らは驚くほど誠実で、感情豊かで、自身を犠牲にすることをいとわない。生粋の日本人である私にとってはうれしい反面、「行けたら行くね」という便利な表現が使えないのはつらいところでもあるのだが。
また、ロシア人は無愛想なだけであって、他人に興味がないわけではない。真冬のモスクワで少しの時間だからと防寒帽をかぶらずに街に出た時、見ず知らずのおじいさんに突然腕をぐいと引き寄せられた。身の危険さえ感じたが、耳元でこう言われたのは今でも忘れられない。「帽子をかぶらないと、寒さで死んじまうぞ?」
いかなる理由があろうと、暴力による問題の解決は許されることではない。春を目前に飛び込んだ重大ニュースで最も苦しんでいるのは間違いなくウクライナ人である。だが私は、ロシア人の心の暖かさを知っている。心を痛めているロシア人も相当数いることだろう。ウクライナとロシア、双方の国民を想い、本稿を閉じることとする。
(榎本健太)