ピル承認秘話
–わが国のピル承認がこれほど遅れた本当の理由(わけ)–
<第79話>政治家の動きを総括すると
一般社団法人日本家族計画協会 会長
北村 邦夫
国会でピルを話題にした政治家は、筆者の記憶では、1974年1月の須原昭二議員、92年4月の乾晴美議員、94年2月と6月の横光克彦議員、その後の堂本暁子議員、末松義規議員などである。ピル反対派議員の表立った動きはない。
小泉純一郎元厚相が在任中、雑誌「BART」の中で、「本来薬というものは病気を治すものであって、一方ピルは健康な状態を異常にして避妊を可能にする」と書き、物議を醸したことがある。その直後、堂本議員の仲介で、筆者が小泉さんに20分間ほどピルについて説明したことがある(97年4月23日)。
65年のピル認可凍結には、佐藤栄作首相の奥様寛子さんの影響があったという。寛子さんが熱心なクリスチャンだったことから、「ピルが認可されたら女性の性のモラルが乱れる」との言葉が生まれた。しかし、当時薬務局で勤務していた熊代昭彦議員は、これを否定している。
70年代に優生保護法改正問題が起こった時に暗躍したのが宗教法人「生長の家」。その背後に自民党の村上正邦議員がいた。しかし、過去何度か女性議員たちがピル認可の要望書を提出し、南野知恵子議員が村上議員にお伺いを立てた際、「大いにおやりなさい」と言われたと言っていた。ただし「中絶には反対だが…」と。
92年の2月に寺松薬務局長の一声で、ピルの審議が止まった頃、「俺の目の黒い間は絶対にピルを認可させない」と吠(ほ)えている議員がいるとのうわさが駆け巡った。エイズ予防財団の小沢辰男理事長ではないかといわれている。この頃、ピル認可に危機感を抱いたコンドーム企業が政治家に働き掛けたという話もある。コンドーム企業というのは同族企業で、例えば不二ラテックスの岡本社長(オカモトの流れ)という具合に、枝分かれしながら、規模を拡大していったという経緯がある。従って、年間の工場出荷100億円程度と経済規模は小さいものの、容易に一致団結する力があるものだから、厚生省の都合で便宜的、形式的に組織化されたOC連とは訳が違う。
97年5月に筆者が総理府男女共同参画審議会委員に委嘱されたとき、堂本議員が、「あんたは、これから龍ちゃんに直接会う機会があるだろうけれど、龍ちゃんにはピルを話題にしない方がいいよ。龍ちゃんの奥さんはクリスチャンだから…」と耳打ちされたことがあった。「龍ちゃん」とは橋本龍太郎首相のこと。橋本首相がどのようなお考えなのかは定かではないが、面白いエピソードだった。
政府に影響力のある作家の曾野綾子さん。「厚生省の役人どもを前に、ピルを認可したら日本が沈没する。だから認可するなと檄(げき)を飛ばしてきた」と、ある宗教新聞で書き、読者から喝采されていた。