「北村先生、読売新聞の記者です。ピルの件なのですが、実は、明日の1面にスクープ記事が出ます。コメントをいただけますか?」
1992年3月17日の夕刻、新宿区市ケ谷駅近くの居酒屋で酒を飲んでいたところに、突然僕の携帯が鳴った。「ピルに一体何が起こったの?」と咄嗟(とっさ)に返した。
「ピルの審議が粛々と行われてきたことはご存じでしょうが、承認を凍結することになったようです」。何故?と問い掛ける間もなく、「エイズをまん延させるという理由で」と返された。僕は興奮気味に、「ピルとエイズは別問題だよ」とコメント。翌朝の読売新聞にそれが載ることになった。
18日付読売新聞朝刊の1面には、「ピル解禁を“凍結”薬事審 エイズまん延懸念 急きょ方針転換 製薬会社に通知」と大書されている。紙面には、「近く日本でも認可が確実視されていた経口避妊薬(ピル)について、厚生省の中央薬事審議会が最近になって事実
上の“承認凍結”の方針を決め、製薬会社に通知していたことが、17日明らかになった。ピル普及がエイズのまん延を招きかねないとの『公衆衛生上の見地』による極めて異例の判断。爆発的に増え続けるエイズの防止が世界的な課題となる中、エイズ対策を優先させることになった」とある。
さらに、「日本でも昭和40年代初めに解禁が論議されたが、性のモラルの乱れや副作用を心配する声が強く、見送られた。この間、生理不順などの治療薬としては使用が認められ、医師の裁量で年間数十万人が避妊薬として転用してきた。(中略)
関係者によると、薬事審の配合剤調査会(座長・長沢俊彦杏林大学教授)は安全性と有効性の調査をほぼ終了し、予定では今年夏までには承認、実用化される見通しだった。(中略)エイズの性感染を防ぐ唯一の手段はコンドームの使用で、『この時期にピル解禁はエイズ予防にマイナスではないか』という意見が委員会で高まった。同調査会は2月末の審議会で凍結方針を決定、申請各社に対して、『公衆衛生上の観点から慎重審議となった』との見解を示した。同省薬務局でも『エイズの治療薬ができるか、コンドームによるエイズ予防が国民的常識になるまで認可は難しいだろう』としており、製薬会社側も「慎重審議もやむを得ない」と冷静に受け止めている」とコメントしている。
同年4月1日には、この報道を受けて、参議院の乾晴美議員が予算委員会で質問に立ったが、山下徳夫厚生大臣(当時)は「ピル解禁とエイズまん延とは無関係ではない」と答弁している。