前回は、機関紙「家族計画」第315号(1980年6月)からピルの話題を紹介した。その後、筆者は第383号(86年2月)まで6年近くにわたって、わが国においてピルを巡って何らかの動きがないかを探ったが皆無!「日本家族計画協会はついにピルの承認には関心がなくなったか」と意気消沈しているときに目に留まったのが、「低用量ピルの認可を日本家族計画連盟が厚生省に要望」の1面の記事だった。
「経口避妊薬(ピル)が実用化されてから30年余が経過し、世界各国で使用されている避妊法はピルが主流であるにもかかわらず、わが国では未だ認可されていない。しかも、わが国では、月経異常などの治療薬として認可されたホルモン含有量の多い薬が医師の処方により、避妊薬として使用されている。というおかしな状況下におかれている。日本家族計画連盟(加藤シヅエ会長)は、これらの現状を改善するため1月8日、小林功典厚生省薬務局長宛に、『低用量経口避妊薬認可促進』を求める別項の要望書を提出した。」(原文ママ)とある。
残念ながら、筆者には「別項」の具体的な要望内容を入手することができなかった。機関紙では探せなかったが、遡ること78年、本会は、わが国の遅れているピルの実情を学術的側面からより一層の研究を進めるために今は亡き松本清一本会元会長を中心とする医学委員会を組織している。82年には、当医学委員会では、ピルの閉ざされた状況を打破するため、既に世界的に主流となっている「低用量ピル」についての臨床試験を行うことを決め、84年西ドイツシエーリング社(当時)の「トリキュラー」と「マイクロギノン」を独自に輸入し、松本清一委員長を中心として松山榮吉、我妻堯、佐藤恒治、本多洋、玉田太郎(敬称略)の各施設において延べ785サイクルに及ぶ臨床研究を実施している、この研究の成果は当初国内雑誌に投稿したが、諸般の情勢から投稿が受け入れられず、やむなく「Result of a Clinical Study with Low dose Oral Contraceptives」をテーマに、88年「Current Therapeutic Research」に報告している。この成果をもとに、同委員会は関係各所に将来の「低用量ピル」の開発に向け働きかけを行っている。これがわが国における「低用量ピル」の幕開けとなった。(JFPA メディカルファイル Vol6,No4,1991)
その数年前の85年9月、日本母性保護医協会(日母:現日本産婦人科医会)と日本産科婦人科学会(日産婦)は、厚生省に向けて臨床治験の必要性を求める要望書を提出している。