「家族計画」(1973年11月1日号)の1面に飛び込んできた「中ピ連が乱入―混乱の家族計画自由集会※」(※現家族計画研究集会)の文字に目が釘付けになった。
全国から1800人ほどの指導者が参加して、国立教育会館虎ノ門ホール(千代田区)で盛大に開かれたのは73年母子保健・家族計画全国大会。その第1日目の日程終了後の午後5時からニッショーホール(港区)で、日本家族計画連盟主催の「家族計画を考える」自由集会が開催されていた。その会場に、ピンクのヘルメットをかぶった女性約30人が乱入。いきなり「ピルを解禁せよ」と書いた垂れ幕をもって演壇に駆け登ったため、同連盟の男性職員に制止されたという。
しかし、「避妊指導に対する連盟の態度はなっていない。これまでの避妊法を改めよ」などと盛んにやじを飛ばすため、騒ぎは一向に収まらなかった。これにたまりかねた会場の参加者が一斉に立ち上がって、「あなた方のやり方は間違っている。どうしてそんなことをするのか」と応戦する一方、「帰れ」「帰れ」の怒号を盛んに繰り返した。
騒ぎが収まった20分後に代表者である榎美沙子氏にやっとマイクが与えられ、ピル解禁と避妊の方法を巡って、演壇の講師と激しいやりとりが行われたが、一方的な主張を繰り返すだけで議論はかみ合わず、午後6時、全員引き上げていった。
「ウィキペディア」によると、中ピ連とは「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」の略称で、70年代前半に活動した日本のウーマンリブ団体とある。代表は元薬事評論家の榎美沙子氏。新左翼のものを模した「♀」印のついたピンク色のヘルメットと過激な活動内容でメディアをにぎわせ、当時の社会現象となった。72年6月18日結成。当時日本では、経口避妊薬(ピル)が薬事法で規制され、厚生省の医療用医薬品に認められていなかったので、これを女性への抑圧と解釈し、ピルの販売自由化要求運動を展開した。メディアを利用する派手な活動形態や、政党・宗教団体の結成など実現可能性の低いアイデアを提案したが会員離れが加速し、だんだんと活動が下火になっていった。
筆者は、このような「中ピ連」の動きが、わが国におけるピル承認への道を閉ざしてしまったのではないかと危惧している。政治家への糾弾、「内閣はすべて女性とする」「公務員はすべて女性とし、男性は臨時職員かアルバイトとする」など女性主義的な政策を掲げていた中ピ連。これがピル=過激な女性のイメージを増幅させてしまったとは言えないだろうか。