1965年、2度にわたってピルの承認を前提とした新医薬品特別部会の開催が中止になったことは既報の通りである。
同年11月30日から12月6日、スイスで開かれた世界保健機関(WHO)のScientific Groupは、ピルの有効性と安全性を認めた。翌66年8月1日米国FDAの産婦人科諮問委員会は、ピルの安全性を踏まえて2年間の使用期限も撤廃した。このような諸外国の状況とは相反して、厚生省(当時)は何ら公式の理由も示さずにピルの承認議論を凍結してしまった。
このあたりについて、別な角度から、国立公衆衛生院(現国立保健医療科学院)の久保秀史博士は、「経口避妊薬―その後」のテーマで解説している(「家族計画だより」65年1月15日号)。
製薬企業から厚生省にピルの承認申請が出されたのが61年。厚生省はピルを承認するに当たっては、いくつかの条件を企業に提出している。企業はそれに従って、各種実験を開始し、その結果をまとめている。そして、まさに承認かと思われた時、例のサリドマイド薬害事件が起こった(「第7話」参照)。これが起こらなければ、ピルは承認されていたかも知れない。薬の恐ろしさと、世間の批判から厚生省としても慎重にならざるを得ず、企業に対してさらに実験項目を追加したが、この追加実験についても各社は次々に完成して提出。厚生省としては承認しないでおく理由がなくなったと言える。
新薬の製造は、薬事審議会の答申を受けて厚生大臣が承認するのだが、ピルについては薬事審議会の審議は既に終了している。日本家族計画連盟の古屋芳雄会長や東京大学の森山豊教授などピル承認反対委員を加えず賛成の議決がなされている。残すところ、許認可は厚生大臣の意向ひとつにかかっている。しかし、日本家族計画連盟、日本結婚センター、自民党婦人部等が承認反対の態度を明らかにし、有力な一般紙にも批判的な記事が掲載されたため、足踏み状態になっていると聞いている。そして、おそらく当時の厚生大臣(神田博、第一次佐藤栄作内閣)の在任中は承認されないだろうとまとめている。
これまで、ピルと同一組成の配合剤は、避妊以外の月経異常等の一般適用を許可すれば避妊に使われるという理由で一切許可しない方針をとってきたが、実際にはアノブラール(日本シエーリング)を避妊の国内データが全くないまま月経困難症治療剤として許可した(64年5月11日)。その後も、ノアルテンD、ソフィアC等を相次いで許可(66年9月27日)。そして、避妊薬を連想させるとの理由から「排卵抑制」等の医学用語も使用しないという条件を出している。