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ピル承認秘話

ピル承認秘話
–わが国のピル承認がこれほど遅れた本当の理由(わけ)–
<第19話>ピルの墓標

第787号
ピル承認秘話
一般社団法人日本家族計画協会 会長
北村 邦夫

 手元に「ピルの墓標」と題したラフ原稿がある。筆者は小口高とあり、今は亡き松本清一先生からは「製薬企業の方」と聞いた覚えがあるが定かではない。執筆時期も不明だが、「はじめに」には「世界の先進国で経口避妊薬いわゆるピルを許可していない国は、おそらく我が日本のみであろう。それでは日本ではピルの研究は全くなされていなかったのだろうか?そうではなく既に約25年前には始まっていたことを知っていただきたく、その足跡をたどってみた」とあるから、1980年代に書かれたに違いない。興味をそそるのは、65年代には、わが国でも何度かピル承認の動きが起こっていたことである。以下、抜粋した。
***
 64年2月10日の新医薬品特別部会、6月9日産婦人科関係者との特別部会を経て、要指示薬、2年間の使用制限、種々検査を含む使用上の注意を添付文書に記載する等の条件付きで使用許可の意向が示された。しかし、日本家族計画連盟が古屋芳雄会長の名において使用許可は時期尚早という反対の建議文(本連載第9話)を7月27日厚生省、日本医師会等へ配布している。
 65年2月26日、新医薬品特別部会にて審議されることになっていたが、当時感冒アンプル剤による死亡事故が問題となり、当局は特別部会の開催を中止した。同年3月27日、日本産科婦人科学会内分泌委員会(委員長東大産婦人科小林隆教授)にて、「経口避妊薬は使用を慎重にすれば、十分に使用にたえる」ことが認められた。これを受けて、7月13日新医薬品特別部会で審議され許可は殆(ほとん)ど決定的とされていた。ところが、またも前日になって突如中止された。理由は健保問題。当時筆者は神戸大学産婦人科医局にいて既に上京していた故植田教授宛の厚生省からの電報をみた。許可になると思っていたメーカーは、製造、包装準備を完了し、商品見本が完成し担当者の机の中に眠っているという。小林隆先生の、「医学的には問題はないのだが、いつも横やりが入るんでね」(家庭学級、昭和47年9月号)はこれを指している。
 以前、故松本清一先生から聞いた話では、消息通の間では、ピルが承認されると性道徳が乱れるという理由で、当時の佐藤栄作総理の寛子夫人が強く反対したためだと言われている。もしそれが事実であるとしたならば、4年余にわたる日本産科婦人科学会の委員会や厚生省の審議会での検討結果が総理婦人の一言で吹き飛んだことになる。その後、日本の製薬企業は承認の見込みがない開発を中止。諸外国での研究の進展をよそに、わが国での研究もほとんど行われなくなった。



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