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ピル承認秘話

ピル承認秘話
–わが国のピル承認がこれほど遅れた本当の理由(わけ)–
<第17話>ピル承認に向けた行政の対応

第785号
ピル承認秘話
一般社団法人日本家族計画協会 会長
北村 邦夫

 エナビットおよびノアルテンの避妊薬としての適応追加申請を受け、厚生省は1961年3月経口避妊薬調査会を組織し、産婦人科関係からは小林、植田両教授と松本(本会元会長)が参加した。その後会合が重ねられ、62年2月の第4回調査会では避妊薬許可基準を作ることになった。
 62年5月、松本は中央薬事審議会臨時委員に委嘱され、新医薬品特別部会委員に指名された。7月になると「経口避妊薬の製造承認申請書に添付を必要とする資料」が公開され、大日本製薬とシオノギ製薬は、この基準に合わせてデータを追加し申請書を提出した。
 調査会や特別部会では、当初は消化器系副作用の強いことが問題視されたが、製剤の改善とともに、副作用は軽減、血栓症などの重大な障害はわが国では認められていないとされた。ただ長期投与に伴う身体に及ぼす影響についてはいまだ十分解明されたとは言えないことから、必ず医師によって処方され、服用中は医師の監督下に置かれることが絶対必要条件とされた。64年6月には、本剤を要指示薬とし、2年間の使用制限と各種検査を含む使用上の注意を添付文書に記載するなどの条件付きで許可する意向が示された。にもかかわらず、日本家族計画連盟の古屋芳雄会長名で使用許可は時期尚早との反対建議文が厚生省や日本医師会に配布されたため、許可は延期になり、さらに65年2月に特別部会で審議される予定だったが感冒アンプル剤による死亡事故が発生したことから部会の開催が中止された。
 しかし翌3月、日本産科婦人科学会内分泌委員会で、ピルは十分臨床応用に耐えると認められたため、これを受け許可を前提として7月の特別部会で審議されることが決まった。ところがこの特別部会は前日になって、委員に電話や電報で突如中止することが通知された。その理由は「健保問題」とだけで明らかにされなかった。以来、特別部会は全く開催されず、68年7月に松本の臨時委員の委嘱は解かれた。製薬会社は許可の見込みがない開発を中止したこともあって諸外国での研究の進展をよそに、わが国では研究もほとんど行われなくなった。
 一方、64年5月、日本シエーリング社は盲点を突いてか、アノブラールを排卵抑制治療剤という名目で許可を受け、これが広く避妊の目的に使用されるようになった。その後、この点を指摘された厚生省は、66年9月、他の製剤もやむを得ず許可したが、71年避妊薬を連想させる「排卵抑制」などの用語の使用を禁じ、72年にはゲスターゲン剤を全て要指示薬に指定している。



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