1964年7月27日、日本家族計画連盟経口避妊薬委員会では、参加した厚生省側と委員との間で議論が沸騰したものの噛(か)み合わなかった。「家族計画」第125号(64年8月20日号)では無記名で「論壇」が掲載されている。その内容をかいつまんで紹介したい。
当時、厚生省としてはピルの販売を許可する方向に進んでいたが、その理由として、医学的、薬学的に十分な検討が行われ(薬品の販売許可で5年も検討したものは過去にない)、効果は確実、副作用は僅(わず)かであり、実際の販売に際しては、①要指示薬として医師の処方箋が必要②問題に対して医師が常にチェックできるようにする③学術雑誌以外には広告させない―ことなどを検討していると報告。
しかし、ホルモン剤の長期投与によって健康な女性を常に妊娠状態にしておくこの薬については学問的に問題がないとは言い切れない。米国でも2年以上使用した場合に、人体に及ぼす影響については結論が出ておらず、日本産科婦人科学会、日本内分泌学会、日本遺伝学会等も学会としての結論を出していない。否、日本においては自然のホルモンバランスを人為的に崩す本剤の使用については、首を傾け疑問をもつ学者が非常に多く、厚生省が本剤のために行った実験データからも副作用は皆無とは言えない。
仮に百歩譲って学問的に完全に無害であり、効果が確実であるとしても、それだけで本剤を国民に使用させて良いかどうか。これは社会全体、民族全体の現状と将来を洞察して冷静慎重に取り扱われるべきである。医学はひとつの技術に過ぎず、その対象は国民全般であり、樹を見て森を見ない如(ごと)き態度は許されない。かく我々が言うのは、本剤が民族の再生産に根深く関与するものだからである。
「論壇」の筆者はこのように述べた上で、承認に前のめりになっている国に対して、日本は急いで本剤の発売を許可しなければならない社会情勢にあるのか、許可した後の不測の事態に対して反論と疑問を呈している。筆者は、「素朴な疑問ではあるが」と前置きして「薬とは人体の苦痛障害を除去するものである。本剤は人体の自然な機能を故意に異常状態に変化させるもので、通念としては薬とは言えないのではないか。法規上は薬と規定しても、現実としてこれを健康な人体に使用するゆえに薬品の概念を逸脱しているのではないか」と訴えている。
この議論から30年以上経過した97年3月に、当時の小泉純一郎厚生大臣がピルについて同様な発言をしており、この「論壇」を僕は驚愕(きょうがく)をもって読むことになった。