家族計画(Family Planning、以下FP)の母と呼ばれるマーガレット・ヒギンズ・サンガー(1879~1966)が、ニューヨーク市のマンハッタン東部の貧民街で働くようになって最初のコラム「What Every Girl Should Know」(全ての娘が知るべきこと)を書くことでFP運動をスタートさせてから、100年以上が過ぎた。サンガーの戦いがなければ、ピルの誕生もなかったのだから、筆者のサンガーに対する思いの強さをお分かりいただけるに違いない。
ところで、サンガーが、FPの大切さを実感するに至ったのには、父母との関係が根底にあったという。サンガーの母親は、18回目の妊娠後50歳の若さでこの世を去った。カトリック教徒の両親のもとに生まれ、母の死に直面した彼女は、自分の父親に向かって「お父さんがお母さんを殺したのだ」と叫んだ。この原体験が彼女の後の活動を方向付けたのだろう。
20世紀初頭、サンガーは米国ニューヨーク市の貧民街において訪問看護師として働き始めていた。その時、彼女が目の当たりにしたものといえば、出産を繰り返す女性たちの姿だった。旧約聖書には「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ」(日本聖書協会、1970)とあるほどに、敬虔(けいけん)なキリスト教徒にとっては、そうすることが信仰の証。当たり前なことだったのだが、自分の生活を顧みずに出産を続けていれば、女性の健康が損なわれるのは当然だ。ちょうど、サンガーの母親のように。そして、子どもは十分に育たず、貧困が彼らを襲うことになる。まさに負の連鎖となる。
このような現実を前にサンガーの取った行動が筆者の心を動かした。
「意図しない妊娠と出産がどれほどに女性を絶望の淵に追いやってきたか!男性支配を許してきたか」
当時、サンガーはFPの普及を目的とした新聞「The Woman Rebel」(筆者訳「女の謀反」)を出版していた。サンガーにとって、出産間隔を空けることもせず、ただ産むことだけを仕事としているような女性の生き方に疑問を抱かずにはいられなかったのだろう。この負の連鎖を断ち切るには「女の謀反」が必要だった。その謀反とは、「No gods,No masters.」(神様なんていない!)。神様の教えを信じるがあまりに、産むことにこだわり続ける女性たちの行動を変えさせるためには、こんな大胆なメッセージを発せずにはいられなかったのだろう。
その後のサンガーの生き様を見る限り、繰り返す投獄にも屈せず、さらにFP運動を推進するという自分の信念をわずかでも曲げることなく突き進んだことが分かる。