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ピル承認秘話

ピル承認秘話
–わが国のピル承認がこれほど遅れた本当の理由(わけ)–
<第47話>菅厚相「来年にもピル解禁」(毎日新聞)

第815号
ピル承認秘話
一般社団法人日本家族計画協会 会長
北村 邦夫

 1996年7月10日、数社の全国紙に同様な記事が掲載された。お茶の水女子大学の原ひろ子教授(当時)から「大臣のフライングにならないよう見守りましょう。」とのファックスが筆者宛に届いた。
 毎日新聞には、「菅直人厚相は9日、都内での日本外国特派員協会主催の昼食会で講演、低用量ピル(経口避妊薬)の認可について『来年には中央薬事審議会で使用を認める結論になる可能性が大きいのではないか』と述べ、早ければ来年にも認可が下りるとの見通しを明らかにした。母体保護などを巡りさまざまな議論があったピル解禁問題も、いよいよ決着の方向へ動き出すことになった。(中略)菅厚相は『エイズ拡大につながるなどいろいろな議論があったが、最近は当事者の責任で、使うか使わないかを決めていいのではというふうになってきている。今年中は難しいが、来年には薬事審の結論が得られるのではないか。個人的推測だが、使用を認める可能性が大きい』と述べた。」とある。
 実は、これには前日譚(たん)があった。7月2日19時6分、BBC(英国放送協会)のデビット・シュルツ記者から筆者宛に送られてきた英文のファックスだ。要約すると、9日の昼から外国特派員協会で菅直人厚相の講演がある。そのテーマは「エイズと日本の官僚制度」。菅厚相によるショートスピーチの後、参加した記者には質問の機会が与えられている。メインテーマは「エイズ・スキャンダル」だが、記者はピルについて質問しようと考えているというのだ。
 エイズ・スキャンダルとは「薬害エイズ事件」のことだ。1980年代、血友病患者に対し、非加熱の血液凝固因子製剤を治療に使用し多数のHIV感染者・エイズ患者を生み出した事件のことだ。当時、厚相だった菅さんが、身内である官僚を糾弾し、一躍時の人になったこともあり、今回の外国特派員協会でのランチョンセミナーが実現したようだ。
 筆者は、菅厚相とのつながりがなかったこともあり、当日の7月9日、堂本暁子事務所と連絡をとり、大臣に対してピルの質問が出るはずだと伝えてもらった。その際、大臣が答えに窮しないように、「ピルの認可については、全世界で認可されていないのは今や日本と北朝鮮のみだと言われていること、厚生省は1990年に治験を終え、認可直前の状況にありながら、消極的であり認可のめどが立っていない。一日も早い認可が望まれる」と結んだファックスを送ってもらうことにした。そのセミナー終了後、筆者が確認した範囲では、メディアから発信されたのは冒頭のピルに関連する記事だけで、「エイズと官僚制度」の話題はどこにも見当たらなかった。



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