筆者が「ピル使用の早期認可を望む」を朝日新聞の論壇に投稿したのが1994年10月18日。その1か月後の11月12日に、京都市女性総合センター相談員の伊藤真理子氏が「避妊を見えなくするピル依存」と題するピルの早期承認への反論を書いている。筆者の意見に一部理解を示しながらも、「避妊は男女二人の問題であるのに、毎朝一錠ピルをのむという女性の習慣にしてしまい、避妊を見えにくくさせてしまう」というのだ。
一方、カイロ会議以降、女性の国会議員を中心にリプロダクティブ・ヘルス/ライツ(RHR)の推進をテーマにしたカイロ・フォローアップ会議が繰り返し開催されるなど、女性の間でのピルに対する評価に変化が起こっていた。95年7月、RHRに関する各界女性有志の要望書が井出正一厚生大臣に手渡された。有志70人には24人の国会議員も名を連ねている。その一つに、「低用量ピルを含む避妊の選択肢の拡大」が要望されている。また8月末には、村山富市首相と河野洋平外務大臣に対して、カイロ会議のフォローアップに加え北京で開催された第4回世界女性会議に関する要望書を提出するなど女性からの積極的な働きかけが続いた。
この間、毎日新聞の夕刊トップで、「ピル、来年三月にも解禁」の記事が躍った。95年9月18日のことだ。エイズ対策を重視した「公衆衛生上の見地」から承認が遅れていた低用量ピルについて、厚生省(当時)の中央薬事審議会配合剤調査会がエイズとの関連性が薄いことを結論づけたためだ。
しかし、同年11月7日の日本経済新聞で、フランクフルト発信として、「第三世代避妊薬一部に処方制限」の記事が掲載され、さらに、18日付け朝日新聞で、「ピル副作用情報世界を走る」という見出しで、「解禁審議に波紋」と書かれ、一転してピル承認問題に暗雲が立ち込めた。要は、第3世代のピルと呼ばれ、黄体ホルモンにデソゲストレルやゲストデンを使用しているピルに血栓症の発生率の高いことが判明したとの疫学的研究報告が英国でなされたことに端を発したものである。
従来、血栓症などのリスクはピルに含まれる卵胞ホルモンの用量に依存すると言われており、歴史的にも卵胞ホルモンの低減化が図られたわけで、他の世代のピルに比し最も低い用量の第3世代のピルでの指摘に、医学的矛盾を感じずにはおれなかった。見方を変えれば、それほどまでにピルというのは、副作用研究が緻密に繰り返されている証拠でもある。とはいえ、このような報告や新聞報道が、我が国のピル承認の審議にまたまた難題を与えたことは否めない。