前回、前々回このコーナーでご紹介したように、1994年9月24日から30日まで、カナダ・モントリオールで開催された世界産科婦人科学会に合わせてお会いした著名人との関わりが、筆者にとっては、その後のピル早期承認を求める原動力になったのは言うまでもない。
実は、9月30日のことだった。米国から帰国の途についていた僕に、機内で日本の新聞が目に留まった。そこには、帰国予定の数時間後に、東京・内幸町のプレスセンターで「カイロ会議報告会」が開催されるという紹介記事が掲載されていた。熱い刺激を受けてきたばかりの僕は、成田から重いキャリー・バッグを転がしながら会場に飛び込んだ。
100人に近い女性達が、カイロ会議に出席した方々からの報告を熱心に聞いていた。しかし、僕の心は燃えるどころか、「どこか違う」という冷めた気持ちに体全体が包まれた。世界の女性たちが虐げられている現状を熱っぽく語る姿が、何とも虚しく響いたのだ。「私達の足下はどうなっているのだ」という疑問が沸々と起こってきた。そして、数少ない男性参加者の一人として僕はこう切り出した。
「わが国女性のリプロダクティブ・ヘルス・ライツはどうなっているかをお考えでしょうか。産みたい女性が産める環境にあるでしょうか。避妊法の選択肢が限られているために、中絶を余儀なくされている女性がいるという現実があることにお気づきでしょうか。他の国々の女性たちの置かれている厳しい現状を憂えること以上に、わが国の女性の問題として、例えば低用量ピルがいまだ承認に至っていない状況を真摯に受け止めるべきです」と。早速に反論ののろしが上がった。
「ピルには副作用があります。あなたはそんな危険なピルを使わせて、日本人女性のカラダをさらに痛めつけようというのか」「製薬会社と結託して女のカラダを薬漬けにするのか」
愕然としました。日本の有数のフェミニスト達の集まりでのこのような発言の数々。ピルに対する無理解。しかし、ここでのわずかな時間のやりとりを聞いていた参加者の一人樋口恵子東京家政大学教授(女性と健康ネットワーク代表、当時)が発した、「これを機会に、もう少し真剣にピルについて勉強してみましょうよ」の声に救われた。
会合の後、樋口恵子さんが、「各種女性団体の集合体である会を維持していくには、触れてはいけないテーマが二つあるの。それは天皇制とピル」という言葉が今も印象深く心に残っている。翌10月1日(土)の朝日新聞には「NGOがカイロ会議報告会 『ピル』の使用をめぐって論争も」の記事が掲載された。