OCが承認、発売となった1999年、40代前半だった私は青森市民病院で手術とお産の日々を送っていました。産婦人科部長の奥様(元助産師)がいち早くOCの服用を開始したと聞きましたが、処方には血液検査をはじめ種々の縛りがあり、ハードルが高い薬というのが正直な感想でした。
弘前大学医学部産婦人科の先輩で、三沢市立三沢病院では指導医として、また医局長でいらした時代には教室でお世話になった蓮尾豊先生(あおもり女性ヘルスケア研究所所長)が、当時、弘前駅前のビルでいち早くオフィスギネコロジーを実践されていました。同窓会や研究会でお会いするたびに「OCは女性の生活改善薬! Life Design Drug!」と熱く語られていた姿を鮮明に記憶しています。先生は間もなくOC処方数全国一を達成しました。しかし、公立病院勤務の私は、月経困難症に中用量ピルの処方は行っていましたが、OCの処方は経験のないまま産婦人科医療に追われていました。
2001年には実家のある北海道千歳市に戻り市民病院勤務となりました。その頃からOCの副効用を実感するようになり、積極的な処方に転じました。そして04年7月、JR千歳駅ビルに新設された医療モールで市民病院の同僚だった内科、整形外科の先生と一緒に3科で診療を開始しました。開業前、蓮尾豊先生にご指導をいただいたのを皮切りに私のOC人生が始まりました。弘前市の半数である人口9万人の千歳市で、OCと婦人科疾患に特化したオフィスギネコロジーが成り立つのか、先の見えない賭けでした。覚悟はしていましたが、1年間は有り余る時間を院長室で過ごすことになりました。
転機の訪れは、「避妊教育ネットワーク」へに加入したことでした。北村邦夫先生の熱い総論を拝聴する機会を得て、またJFPA主催の「医師とコメディカルのためのOC啓発セミナー」では、家坂清子先生から実践に直結した各論をスタッフと一緒に学びました。OC処方時の検査が血圧と体重測定に簡略化され、開業4年後の08年にはLEPが認可されたことで処方数は一挙に増加しました。その頃には「北海道のピル蓮尾」をひそかに自認するに至りました。
しかし、13年の静脈血栓症による死亡例の報道を受け、私も処方に躊躇(ちゅうちょ)する時期がありました。今振り返ると、それを契機に、処方前のより慎重な問診、処方後のきめ細かい指導および副作用の早期診断を心掛けるきっかけになったと思います。その後、続々と登場したLEPはオフィスギネコロジーへのさらなる追い風となりました。
緊急避妊ピルの認可は、処方をきっかけにOC/LEPへ移行する絶好の機会となりました。また、HPVワクチン接種の積極的勧奨が再開し、特にキャッチアップ世代のOC/LEP服用者にHPVワクチン接種と子宮頸(けい)がん検診の重要性を繰り返し説明することで、接種数および検診数は増加しています。この20年、各種OC/LEPの他に第4世代の黄体ホルモン製剤、GnRHアンタゴニスト、天然型黄体ホルモン製剤、LNG-IUSなどの登場で女性医学がその地位を確立し、プレコンセプション・ケアの認識も広まりましたが、私にとってのオフィスギネコロジーの原点はやはりOC/LEPです。
前期高齢者の仲間入りを果たしましたが、体力とモチベーションが続く限り地域の女性のQOL向上に末永く貢献していきたいと思います。
最後に、指導者であり恩人である北村邦夫先生、家坂清子先生、そして蓮尾豊先生にこの場を借りて深くお礼を申し上げます。