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OC/LEPが私の医師人生をどう変えたか

OC/LEPが私の医師人生をどう変えたか<44>
OC/LEPは女性にとっての必須アイテム

第841号


中澤ウィメンズライフクリニック(長野県長野市)産婦人科医師 山本 かおり

私と月経

 私の初経は11歳、小学5年生だったように記憶しています。茶色のものがショーツについていて、粗相をしたのか焦った思い出があります。二次性徴が早かったため、5年生の高原学校(2泊3日の宿泊行事)でクラスの子たちとお風呂に入るのが苦痛だった記憶、6年生の臨海学校(2泊3日の海の体験行事)では2日目に月経が来てしまい、つらかった記憶が今でも残っています。中学に入ると月経周期が安定、それに伴い、月経痛が強くなってきました。2日目の夜は痛みで夜中に起き、布団の中で転がっていたこともしばしばありました。量も多く、漏れて寝具を汚すことも度々でした。母に相談すると「月経痛は誰でもあるものよ」と言いながらも鎮痛剤を買ってくれ、市販の鎮痛剤を何種類も頻用していました。高校生になると徐々に対応も上手になり、漏れないようにナプキンを2枚重ねにしたり、鎮痛剤を早めに飲むようにしたりして、毎月やって来る月経とまずまずな付き合いをしていました。しかし、高校2年生の修学旅行の際、来るはずがない月経が旅行中に突然やって来て焦ったというエピソードは、今でも最悪な思い出です。その後、鎮痛剤を頻用していたせいで固定薬疹が出てしまい、市販の鎮痛剤は飲めなくなりました。こんな風に月経に対して嫌な思い出しかありませんでした。

私とOC/LEPの出会い

 OCが日本で発売されたのが、1999年…私が大学生の時でした。今回、こちらの寄稿に当たり、自分の学生時代の産婦人科のテキストを見返してみました。すると「月経痛にはピル!」と何箇所かに書き込んでいました。しかし、在学中もピル(OC)が話題になることはなかったですし、大学を卒業し、医師として働き始めた後もしばらくの間、OCに触れる機会はありませんでした。
 私が本格的にOCの処方を行うようになったのは、2008年、子宮内膜症に伴う月経困難症治療薬としてLEP製剤が発売されたことがきっかけでした。処方すると、今まで月経痛に苦しんでいた患者さんたちが、次来るときには笑顔になられているということも多く、OC/LEPってすごい! と感動したのを覚えています。第2子出産後には自分もLEPを服用、月経痛はゼロにはなりませんでしたが、半分くらいには減少、また、いつ月経になるか分からないという恐怖もなくなり、私にとっても素晴らしい薬となりました。連続で内服することにより月経回数の減少という恩恵も受けていました。私の場合、2~3か月ほどで消退出血が出るため、そこで休薬というサイクルでやっていました。しかし、徐々に消退出血の量が増加し、LEPを内服しているにもかかわらず、寝具を汚し、さらに凝血塊もボコボコ出るようになってしまいました。ほんの2cmほどの子宮筋腫がある程度でしたが、挙児希望のない私にとって、もう子宮とさよならしてもいいかなと考え、40歳で子宮全摘することとしました。子宮を取ってみると、2cmほどの筋層内筋腫は粘膜下筋腫のように発育しており、これが過多月経の原因と思われました。子宮がなくなり、つらい月経とさよならできたのは私にとって本当にHappyなことでしたが、術後しばらくしてPMSが出現したのには驚きました! 手術するまでLEPを内服していましたので、PMSの存在を忘れていたのです! OC/LEPにはPMSに対してもしっかりと効果があると実感したのでした。

必要とする全ての人へ届けたいOC/LEP

 私の中学時代にOC/LEPがあったらどんなに良かっただろうと思うことが多々あります。月経痛もつらかったですが、PMSにも苦しんでいました。そんな思いから性教育講演では、少し時間をかけて、月経にまつわる諸症状の対処方法としてOC/LEPの話をしています。養護教諭がどんなに産婦人科受診を勧めても受診しなかった生徒が、私の話を聞いた後に受診につながれたという報告を聞くと非常にうれしく思います。OC/LEPは女性にとっての必須アイテムであり、多くの女性がつながれるようこれからも精進していきたいと思います。


今月の人

やまもと・かおり
2003年、兵庫医科大学を卒業後、信州大学産科婦人科学教室へ入局。同大学付属病院での研修を経て、06年9月~伊那中央病院、10年2月~長野赤十字病院、その後非常勤となり、現在長野市、小布施町、飯山市、千曲市、安曇野市などで診療を行っている。


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