編集後記【816号】
保健会館新館(新宿区市谷田町1丁目)
毎年3月1日から同月7日までは「春の火災予防運動」です(秋は11月9~15日)。本紙バックナンバーの2005年4月号に、「『定火消(じょうびけし)』記念碑の消防演習が本会で」という記事がありました。
東京消防庁のHPによると「定火消」とは、1657年(明暦3年)の江戸において「明暦の大火」という町がほとんど焼けてしまう大きな火事があり、今後このような大きな被害がでないようにと、幕府(4代将軍家綱)が4人の旗本に命じてつくらせた幕府直轄の消防組織で、現在の消防署の元となっているそうです。飯田橋、市ヶ谷、お茶の水、麹町に火消役の屋敷をつくり、そこに役人や火消人足を常駐させて、火事が起きたらすぐ出動できるように準備していたとのことです。
本会のビル「保健会館新館(新宿区市谷田町1丁目)」は、市ヶ谷左内坂にあった定火消の火消屋敷跡地、つまり江戸時代の消防署の跡地にあります。そのこともあって、東京消防庁牛込消防署は2005年3月1日、記念碑「定火消発祥の地」をここに立てるとともに、縁ある本会に消防演習の実施を求め、「定火消記念碑除幕式」とあわせて賑々しい消防訓練が行われました。
記事には、「当日は各種消防車5台が参加し、また消防ヘリコプターも頭上を旋回する中、隊員がビルの上から壁伝いにロープ1本で一気に駆け下ったり、はしご車による救助活動を実演したり、さらには一斉放水を行うなど、道行く多くの通行人に興味深い消防演習を披露した」と記されています。なかなか大がかりな訓練?セレモニー?だったのではないでしょうか。
いまだコロナ禍を脱したとは言えない現在ですが、火事や災害はそれとは関係なく起きるものですので、折りに触れて防災意識を高めていきたいと思います。 (大野聡)
「定火消発祥の地」記念碑
< 碑 文 >
「1658年(万治元年)、新たな消防制度として江戸に誕生した定火消の屋敷の一つがこの市谷左内町二十一番地および市谷田町一丁目地内に置かれました。屋敷内には火の見やぐらが立てられ、定火消役の旗本以下、与力6人、同心30人、火消人足およそ100人が火事に備え、ここに初めて火消しの常駐する場所がつくられました」